映画あるいは本について

観たり読んだりしたものについて。ひどく個人的なことばかり書きます。

ユー・ガット・メール

 

 

ユー・ガット・メール 特別版 [DVD]

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「Eメールのやり取りって、大抵は意味のない会話だったりするけど、私にはそれがとても大切になってたの。ありがとう。」 

 だれにとってもそうであるように、高校時代の俺にとって、気になる異性とのメールは特別な出来事だった。
 俺は青春を男子校で過ごした。異性のいない高校生活は、別に灰色ってわけじゃない。だけど、カラフルってわけでもない。
 最寄駅が同じバカ共学の高校生を見るにつけ、口では偏差値が低いって馬鹿にしながら、心の中では妬みながら通学路を歩いたもんだった。

 つまり、高校時代の俺は女に飢えていた。

 そんな悶々とした日々に初めて彩りを与えてくれたのが、1年生の冬になって通い始めた塾で知り合った女だった。今思い返してみれば、大して可愛くもない女に俺は夢中になっていたように思う。相手の子が好きというよりは、恋愛をしている自分が好きだったのかもしれない。

 話が脇道に逸れてしまった。まあ要は、性欲にまみれたチンパンジー=その時の俺は、塾という名の出会い系サイトを有効活用して、人並みの青春を謳歌するのに必死だった。
 そんなチンパンジーだが、当然相手の子は違う学校だった。会えるのは週に一回きり。チンパンジーは飢える。そうして飢えに飢えたチンパンジーは、何を考えたか必死にメールを送った。

 「今なにしてる?」、「今日こんなことがあってさ〜」気分は平安貴族だった。不幸なことに中身は伴っていなかったが。相手とのコミュニケーション量を増やせば、それに比例して相手との距離も縮まるとでも考えていたんだろう。流石はチンパンジー、愚かである。もっともその愚かさに気づいたのは、相手の女の子に振られてからだったけれども。振られたショックで2キロやせた。

 書き出せばキリがない。まあ要するに気になる異性とのメールと聞くと、俺の中からほろ苦い思い出が、ドバドバと想起されるのである。
 
そんなほろ苦い思い出をかみ締めながら、この映画を観た。
 
 ジョー(トム・ハンクス)とキャスリーン(メグ・ライアン)はインターネットで知り合った。互いの顔は知らないけれど、メールのやり取りに夢中になっている。そんな時、キャスリーンが経営する本屋の近くに、ジョーが経営する大規模書店ができる。彼らは現実では喧嘩を繰り返しながら、メールではますます惹かれあっていく。そしてついにジョーはメールの相手の正体に気がつく……
 
 別にいまさら俺が講釈たれるまでもない、超有名作品だ。おそらく名作なんだろう。
 だけど今ひとつピンとこなかった。ジョーの発言からいちいち気持ち悪さみたいなものを感じてしまう。キャスリーンの婚約者の言い方も、そりゃないだろうって思ってしまった。俺が若いだけなのかな。大人の恋愛はわからない。
 
 それでも俺を最後まで画面にひきつけたのは、ジョーとキャスリーンのメールの文面だ。二人の美しい言葉は、スクリーンを鮮やかに彩る。

「ニューヨークの秋は最高、新学期の文房具を買いたくなる。住所と名前が分かれば、君に鉛筆の花束を贈りたい。」

 まだメールが手紙の延長線上にあった影響なんだろうか。今とは少し違った、どちらかというと手紙に近いテイストの文面だ。俺が高校生のときに送った下品なメールとは比べるのもおこがましい。なんだか羨ましいような、それでいて何故か懐かしいような気持ちになった。

 俺もこんなメールを送れていれば、少しは鮮やかな高校生活をおくれたのだろうか。そして俺はいつになったら、こんな上品なメールが送れるようになるんだろう。